信用と信頼の差

信用と信頼の差ー2019年4月15日

幸せになるためには信頼することが必要です。先ずは自分を信頼しなければ、前に進むことはできません。しかし自分のことを信用することは必要ありません。信頼と信用の差は何でしょうか?信頼とは、その意図がプラスを生み出すものであることを信じることです。一方信用とは、その提示するものが正確だと信じることです。人間は完全ではないので、自分を含めてすべての人が間違を犯す可能性が常にあります。ですから信用できない、すなわち、間違っているかもしれない、と思う場合があって当たり前なのです。一方信頼するというときは、その意図がプラスを生み出すための意図であることを信じているので、そのときどきの判断に基づいて行動することができるのです。逆に信頼できなければ行動に移すことは不可能です。しかし信用がなくても(間違っている可能性を認めていても)行動を始めることはできます。言動を始めるのに信用は必要ないのです。その判断が間違っている可能性もあることを知ったうえで、やってみる価値があるとするのが信頼なのです。それ故に、信頼に基づいて言動した人は、たとえ自分の判断が間違っていたとしても自分を許すことができますが、信用に基づいて言動した人は、間違ったときに自分を許すことができません。信用した対象は常に正確でなければならないからです。さらに悪いことには、言動するのに信用を必要とする人は結局は言動することができなくなります。なぜなら、前もって完全に正確で間違っていないことが確実なことなど世の中に存在しないからです。ですから、人生を豊かにしていくのは、信用ではなく信頼なのです。自分を信頼し、さらに信頼に足る相手を見つけることのできた人は幸せです。人生は無数のものを受け取り無数のものを差し出す作業の連続です。本当の意味であなたが受け取ることも差し出すことも、ともに自分自身への信頼がなければ不可能です。内容が正しいかどうかは後になってみなければ誰にもわかりません。もちろん、言動するまえに十分な検討を加えることは必要です。そこで間違いが分かるのなら、間違いを正せばよいだけのことです。しかし最終的には、信頼して言動を始めるしかありません。始めなければ結果も出てこないからです。言動することによって初めてあなたは世界から何かを得ることも、逆に世界に何かを差し出すこともできるのです。言動すれば必ず何らかの結果が生まれます。その結果に基づいて最初の判断が正しかったか否かを考えればよいのです。それが反省です。しかし言動する前から疑いを持てば、言動することができません。反省は過去に関わることであり、疑いは未来に関わることなのです。未来を決めることはできませんから疑いは何も生み出しません。一方過去を変えることはできませんが、過去を振り返ることで今できることをすることは可能です。それが未来に影響を与える唯一の方法です。できる範囲でベストを尽くして検討したら、あとは判断を決めて、その判断に基づいて言動し、言動の結果を得たら必要な反省をして未来に活かす、人間にできることはそれだけです。あなたが豊かな人生を築くのに必要なのは信用ではなく信頼であり、疑いではなく反省です。常に正しくあろうとする呪縛から自由になれば、積極的な言動が可能になり、積極的な言動があれば人生のチャンスが多く生まれます。