幸せを外の世界の現象にばかり求めると、
自分の想い通りに行かないことが多くなります。
自分の願望が実現するには、
自分以外の無数の条件が満たされる必要があるからです。
自分の願望が満たされない、時として傷つく、
そういうことが起きると多くの人が、
心を閉ざすことによって自分を守ろうとします。
もちろん時と場合によっては、
心を閉ざすことで自分を守ることは必要です。
しかしその頻度が多くなると、自分の世界が狭くなり、
その結果喜びを得られず、怖ればかりが増えることになります。
現状から逃げたい、傷つきたくない、というのは、
まさに世界から自分を閉ざして、
関係を断ちたいという気持ちの表れなのです。
私たちは瞑想によって幸せを得ようとしています。
しかし、瞑想は現象レベルでの具体的な幸せを得る手段ではない、
ということをきちんと理解することが必要です。
現象レベルでの問題に振り回されない自分になる、
それこそが瞑想の本来の目的です。
それは何もよく言われるように、
物欲を無くす、禁欲する、ということではありません。
そのような考え方も逆の意味で、
外の現象によって幸せを得ようとする姿勢に過ぎません。
瞑想はそうではなく、
自分の存在そのものに喜びを感じるようになり、
それが何人にも何事にも奪われることのない、
本当の幸せへと導いてくれる道なのです。
本当の幸せは自分の外側にある現象によって得るのではなく、
自分の生そのものによって得るしかありません。
また多くの人が勘違いしていますが、本当の幸せとは、
上記のように現象によるものでないだけでなく、
自分の精神状態によって得るものでもありません。
精神状態によって幸せになろうとすると、
いつも明るく元気な気持ちで居ようとします。
しかし、現実的にそれは不可能です。
不可能なことをしようとしてできないことで、
自信を無くしたり鬱的になったりするのです。
本当の幸せとは、自分が生きている、存在している、
という事実そのものの内から湧き出てくるものなのです。
日々の生活の中で感じる喜びや幸せ感は、
そのときだけの精神的なまたは肉体的な快感です。
もちろん、そのような喜びを求めることは間違っていないし、
また一時的な慰めや元気をもらうことはできますから、
日常生活の中では大事であり価値のあることです。
しかし、それは次から次へと変化する人生のなかでの、
多くの出来事の一つに過ぎません。
出来事はやって来て過ぎ去っていきます。
自分に都合の良い出来事を求める結果、
現象や結果を追い求め続けることになり、
自分自身の存在や生には意識が十分に向かなくなるのです。
もういちど、自分の心身の状態や外側の現象によっては、
本当の確固たる幸せを得ることはできない、
ということを深く考える必要があります。