医学的に検査を受けても何も問題無いのに、身体の具合が悪くそれが改善しないという場合があります。その場合は、検査そのものが正確でなかったり、間違っていたりする可能性もありますが、そうでないときは、自分の心を振りかえってみることが必要です。自分の考え方や感情などの働き方に何か問題があるのではないか、と考えてみるのです。
このように、身体的な問題や物理的な問題、つまり現象的な問題については、先ずは現象レベルの問題としてとらえ、現象レベルで対処することが最も有効な手段です。そしてそこに問題が見つからない場合に初めて、心の問題として考えてみるという順番が必要です。精神世界に重きを置く人の場合、時として現象レベルの問題を心の問題として扱おうとする傾向が見られます。現象レベルで対応することに不安があったり面倒だと感じた場合に、精神主義的な対応をするのです。しかし、本来は現象レベルのことは現象レベルで、精神レベルのことは精神レベルで解決しようとすることが原則です。
問題を複雑にするのは、現象は精神に、精神は現象に、互いに影響を与えるので、単純にどちらかだけを考えればよいとは限らないことです。ですから、上記のように、たとえば身体的な問題であれば、最初に医学的な対応を考え、そこに問題が無い場合に精神的な対応を考えるようにすればよいのです。
このように現象レベルと精神レベルとを分けて考えないといろいろな問題が生じます。精神レベルでの対応に片寄れば、現象レベルでの問題が増加し物理的な豊かさを得ることが難しくなります。現象レベルに片寄れば、精神的な問題が増加し生きる意味や永続的な喜びを得ることが難しくなります。私達にとって人生を楽しむためには、物理的な豊かさも生きる意味も共に必要です。そのためには、現象世界のことは現象世界で、精神世界のことは精神世界で、各々別に対処する姿勢が基本となるのです。あくまでそのうえで、両者の関係を理解し互いの影響を考えて対処するという順序が必要なのです。
しかしその関係を考えるときに注意することがあります。それは、上記で説明したことと同じなのですが、現象の世界に存在するものを精神世界に持ち込まない、精神世界に存在するものを現象世界に持ち込まないということです。上記の例で言えば、医学的に問題がないのに身体的な症状が出ているとき、心の在り方を検討する必要があるのですが、そのときに、自分の考え方や感情がおかしい、正しくない、道徳に反している、常識的でない、だから身体の具合が悪くなっているのだ、などと考えないことが大事なのです。そのような判断基準は、自分の外側の世界に存在するものです。それを自分の心の問題すなわち自分の内側の問題への対処に使うことが間違っているのです。
内側の問題に対処するときは、外側の世界に存在するものを内側の世界に持ち込まないで、自分の内側の世界だけで対処することが大事なのです。上記の身体症状の問題の例で言えば、身体症状が出ているのは、何らかのストレスからです。ですから、自分の心の在り方がどのようにストレスの原因になっているのか、それを省みることが必要なのです。つまり、今の自分の心の在り方が、問題の対象について、葛藤や不安や嫌悪や迷いを生み出していることを理解し、それを無くすためにどのように心の在り方を変えればよいのかを考えるのです。そうすれば、むやみに善か悪か、正しいか誤っているか、といった外側の世界に存在するものを内側の世界に持ち込むことなく、心の平安を作り出すことができ、その結果として身体症状の改善も期待できることになるのです。