受け入れるとは、一言で言えば、あるがままに認識する、ということです。あるがままに認識するためには、自分の判断や感情から自由でなければなりません。そのように相手を受け入れた後で、自分の判断や言動をすることが理想です。
そうすれば不安や欲望によって歪んだ判断や言動をすることがなくなります。たとえば暗闇の中で音がしたときに、幽霊が出たと思うことが無くなるのです。幽霊が出たと思えばそこから逃げ出します。しかし暗闇の中で音がしたという事実をあるがままに認識できれば、なにもしないで逃げ出すことはしません。暗闇が怖いという感情が無くなるわけではありませんが、その時その場での適切な言動が可能になるのです。たとえば、暗闇に入るのは怖いから光を当てて音の正体を知ろう、とするかもしれません。
このように、受け入れることができれば、最初から自分の感情や知識によって片寄った判断や言動をすることが無くなるわけです。自分自身を受け入れるということも同様です。「自分はそうなんだ」とあるがままを認めることです。弱点や嫌いな部分も含めて認めることです。
認めれば働き掛けることができます。認めなければ働き掛けることができません。否定は何も生み出さないのです。上記の幽霊の例のように、無くなって欲しいと願うことはできても、それに対して何ができるか、という発想になっていきません。
自分であれ他者であれ、あるがままに受け入れたうえで、そういう対象とどう関わるか、どう対応するかを決めることが重要なのです。人間にとって最も大事なのはより幸せになっていくことですから、幸せになる障害を取り除く、またはそれができなければなるべくマイナスの少ない関わり方をする、という工夫が常に必要になります。
それを可能にするためには、先ずは対象を、自分であれ他者であれ、あるがままに受け入れなければならないのです。受け入れることが正しい言動をする前提条件なのです。