同じ失敗や過ちや苦しみを何度も繰り返す人がいます。その人の性格や傾向、置かれている状況その他によってその内容は様々ですが、同じ失敗を繰り返していることは根本的な問題がその人にあることを示唆しています。
同じことを繰り返しているといっても、本人が繰り返しに気づいていない場合と気づいてはいるが直せない、という二つの場合があります。本人が気づいていないケースは、多くの人が思うよりもずっと多いものです。
人生がなかなか良くならない、少し良くなってもまた何か悪いことが起きる、望んでいる方へ進んでいかない、いつも不満や不安がある、といったケースは、弱点が繰り返し発揮されているからなのです。
そして同じことが繰り返されていること自体に気づかないので、当然の結果として、人生を良くしていく力を発揮できず、いつまでも幸せになれないのです。
二つ目の、自分で気づいているが同じ失敗や過ちを繰り返してしまう、という場合は、人生を改善していく可能性があると言えます。同じ過ちを繰り返す原因の第一は、その繰り返しの対象になっている事柄について覚悟をつけていないからです。
どのようなことに覚悟をつけにくいかは人によって違いますが、誰でも覚悟をつけにくいものがあります。ある人にとっては、人間関係が傷つくことに対して覚悟をつけられないかもしれないし、ある人にとっては経済的な損失に対する覚悟をつけられないかもしれないし、ある人にとっては自分の健康や命についての覚悟をつけられない、といった具合です。
覚悟をつけるとは何を意味するのでしょうか?それは何かを諦める、ということです。覚悟をつけられないとは、あれも欲しいしこれも捨てられない、ということです。人生で何かを得ようとすれば、必ず有形無形の何かを渡さなければなりません。得ようとばかりするので覚悟がつけられず、覚悟がつけられないから、自分の弱点から解放されないのです。
次に必要なのは、自分の弱点を知るだけでなく、その原因を知ることです。以前、小さなことを気にしてイライラしたり重要なことができなくなる、という弱点を持っている人の相談を受けたことがあります。その人はその弱点を知っていたので、真面目に「小さなことを気にしない」と心掛けていました。しかしそう努力しても小さなことが気になって仕方ありません。
何がいけないかったのでしょうか?「小さなことが気になる」から「小さなことを気にしないようにする」では、問題解決ができないことは明らかです。気になってしまうから問題になっているのですから、単に気にしないようにしようとしてもできるわけがないのです。ですから、その人にとって大事なのは、なぜ自分が小さなことを気にしてしまうのかを、自分に明らかにすることなのです。そうすれば、その原因について働き掛けることができるようになり、次第に小さなことを気にしなくなることが可能になるのです。
また別の例では、自分を不幸だと思っている人が何かの本を読んで、信じることの大切さを学び、自分は必ず幸せになるのだと信じようとしていました。しかし、今現在幸せでない人が、将来幸せになると信じることは非常に難しいことです。ですから、信じよう、信じようとしても、実際には幸せになっていかないのは当然の結果です。
以上の二つの例には共通した問題があります。それは、問題を自覚しても、その解決について深く考えていないのです。「こうしよう、ああなろう」と問題と逆の(解決した)状態を直接に望んで、そうしよう、そうなろう、としているだけなのです。そういうことをしていても変化を生み出すことはできません。
そうできない、そうでない、現状には原因があるはずです。そうしよう、そうなろうと努力するのではなく、現状を作り出している原因を探し出し、それを取り除く努力をしなければならないのです。原因がわからない場合もあるでしょう。その場合には、原因を見つけ出すために自分に何ができるかを考えるのです。
思い出して欲しいのですが、ここでも、「できないことについては考えない、できることについて考える」という瞑想者の「知」の使い方を活かす必要があるということです。