本当の愛に近付くために

本当の愛に誰もが憧れます。しかし殆どの場合に、それは単なる憧れに終わってしまいます。欲しいと思いますが、単に想像したり願ったりするだけで、それを手に入れる具体的な努力はしないのです。その努力が大変だからというよりも、どのような努力をすれば良いのかわからないからでしょう。

その努力は難しいことではありません。日常生活の中で考えられ語られる、普通の愛を実践すれば良いのです。家族の中での愛でもよいし友人に対するものでもよいし男女の愛でもよいのです。それらは小さな愛、つまり自我に基づく愛ですが、そのような愛でも実践することに大きな意味と価値があります。

精神世界を学ぶ人の多くが大きな愛本当の愛を求め小さな愛はレベルの低いものと思い、自分の成長の証しとして大きな愛を持つ人になろうとするのです。そして何をするかと言えば、本を読み聖人の話しを聞き愛について語り、その世界にひたろうとするのです。しかしそれはいわば雰囲気を味合っているだけで、実際に努力という行動をしていませんから、いつまで経っても大きな愛を得ることができないのです。大きな愛に到達するには努力しなければなりません。いくら考えようと感じようと話しをしようと、行動しなければ何の意味も無いのです。

それでは、どのような努力をすればよいのでしょうか?それは前述のように、小さな愛、自我の愛を育てることです。どのような愛でも良いですから、愛されようとするのではなく、愛そうとするのです。そしてそれを深め強めていきます。そうすることだけが、大きな愛を得る道なのです。

考えてみれば当たり前です。小さな愛すら持てない人が大きな愛を持てるはずがないのです。どのような問題でも、私達が一歩を踏み出すことができるのは、今現在立っている場所からだけです。小さな愛すら持っていない人が大きな愛を求めても、麓に立っている人が山の頂きを見てそこで何をするか考えているのと同じです。実際に山を登り始めなければその頂きがどのようなものであるかは分からないし、またそこで何かをすることも不可能です。

自我の愛を強め深めることによって何故大きな愛に近付くことができるのでしょうか?それは自我の愛を追求すれば、そこには喜びもありますが、必ず苦しみが生まれるからです。その苦しみを克服することが大きな愛に近付くステップとなるのです。

しかし自我の愛が生み出すこの苦しみを恐れて、最初から人を愛そうとせず、素晴らしく見える大きな愛、自分は安全で傷つくことがなく人々を幸せに導く素敵な愛、を得ようとする人が多いのです。そのような気持ちで本当の愛を得られるわけがありません。そもそも大きな愛は自分を捨てる愛です。自分が傷つくことを恐れる人が自分を捨てられるわけがないのです。

自分が知りもしないし自分のものでもない、大きな愛について考えることも語ることも止めなさい。今の自分に可能な愛を実践することだけをしなさい。考えたり語ったりすることで、あたかも身についたように錯覚しないために。自我の愛を愚かにも否定しないために。自分が傷つく恐れから脱却、し勇気をもって喜びを求める生き方をするために。