愛と勇気

勇気は愛と同じエネルギーの現れです。愛があるときに自我は働きません。自我が働かないときに初めて本当の勇気が出るのす。自我が働いていないということは、自分という存在が、対象との関係から自由であることを意味します。ですから、自分のすべきことが明確に判断でき、そしてその判断に基づいた行動ができるのです。

逆に自我が働いているときは、対象との関係に縛られていますから、自分が本当にすべきことではなく、関係を守るために判断と行動をすることになるので、怖れがうまれるのです。何かを守ろうとすれば、怖れが生まれるのは当然です。

関係によって生じているものは、それが何であれ、自分が本当にすべきことに比べれば、実は取るに足らないものです。しかし関係にとらわれているためにそれに気付かないのです。その結果、自分は合理的な判断行動をしていると自分を納得させて、本当に自分に必要な行為から逃げることになってしまいます。

このように、勇気が出ないのは何か失うことを怖れているときです。従って、ごく簡単に言ってしまえば、愛があるときには、失うことを怖れない、ということなのですが、もう少し詳しく説明すると以下のようになります。正しい勇気とは、失うかもしれないものと、自分がすべきことの価値を比較検討したうえで意識的に行為するかしないかと選ぶことを意味します。しかし関係に捉われていると、その比較検討を正しくすることができなくなります。その結果、単に不安だからという理由で、すべきことをしないことになるのです。勇気とは正しい判断に基づいたうえで不安を克服してすべきことをすることです。そして、正しい判断にも不安を克服する強さにも、愛の存在が前提なのです。正しい受容が無ければ、判断も強さも、自分中心の狭い心でしかできなくなるために、自分をごまかし勇気を発揮することができなくなるのです。