自己確認が困難な人

自己確認とは自分自身の存在そのものやその価値を自分で認めることです。これは自分自身のことであるが故に、基本的には他者によって与えられるしかありません。

最初のそして最も大事なものは親から子に与えられる愛情を通して得る自己確認です。子供時代に親をはじめとするまわりの人々からの愛情を通して行われる自己確認が不足すると、大きくなってからもいつも自分の存在に対して不安感がぬぐえません。その結果として、自己確認を自らの行為によって得ようとします。

何か立派なことをして他者に認めてもらおうとしたり、精神世界を勉強したり自己啓発セミナーなどに参加したり宗教に走って自己を高めようとしたり、またはまったく逆に社会との関わりを断絶して引きこもったりするのです。

しかし、自我が確立してしまってからの行為はすべて欲望に基づいて為されることになってしまうために、純粋な自己確認は本人の意図に反して非常に難しく、そのほとんどは意識的か無意識的かにかかわらずその人のそのときの欲望を満たすために為されてしまうのです。

たとえば、精神世界の勉強は知識欲や自分の誇りを満たすために為され、自己啓発は自己満足のために為され、宗教は依存心を満たすために為されるとい
った具合です。このように大人になってからの自己確認は大変困難になってしまうのです。その結果、種々の問題が生じることになります。自己確認ができないために、常に精神が不安定になり、それを安定させようとして、自分またはまわりに攻撃的になったり、自責の念が強くなったり、無気力になったり、依存的になったり支配的になったりします。

ですから、子供時代に十分に親から愛された人は幸運な人です。親にいくら感謝してもしきれません。逆に十分に愛されなかった人は大人になってから困難な自己確認をするしかありません。それを可能にするのは、上記の理由によって、勉強やあるべき姿や在り方を学んだり得ようとすることによっては不可能です。逆に、今の自分の自我から自由になり本来の自分に戻る道を歩むしかないのです。