人間はいろいろな事情によって、自分の内側に生まれているエネルギーを抑圧することがあります。それは現実世界の中で生きていくために必要である場合もあるでしょう。その意味で、その時々の自分の内側で生まれたエネルギーを抑圧することは、必ずしも悪いこととは言えません。しかしその抑圧が意識的な判断に基づいてなされるならよいのですが、多くの場合、無意識のうちに不安や罪悪感によってなされることが多いのです。
この不安と罪悪感こそが人間にとって最悪のエネルギーなのです。不安は将来を気にして、今の心が縛られることによって起きます。今現在に対する不安というものは存在しません。不安は必ず将来、換言すれば、未だ起きていないことに対して持つ怖れです。ですから不安は「今」に集中して生きていないことによって生じると言えます。一方罪悪感は過去を気にして、今の心が縛られていることによって起きます。ですから罪悪感も不安と同様に、「今」に集中して生きていないことによって生じるのです。
不安の結果は、少なくても最初のうちは、自分の内への閉じこもりとなります。一方罪悪感の結果は、最終的には自罰(自らを罰する)となります。不安は世界の中での自由な言動を不可能にし、自罰は自分の身体や心の不調を生じさせたり、さらにひどい場合は、他者を傷つけることによって罰を受けようとする場合もあります。
自罰は自分が犯した罪に対して罰を受けることによって救われようとすることですから、その源をただせば、やはり不安がその原動力だと言えます。このように、不安こそが人間の最も根源的なマイナス・エネルギーなのです。
上記したように、不安も罪悪感も、ともに「今」を生きていないことによって生じます。ですから今を生きることに集中すればよいのです。このように言うと、「それでは将来を考えなくていいのか」とか「過去を反省しなくていいのか」という意見が出されるのが常ですが、今を生きるとは、そのようなことを意味するのではありません。考えるべき将来は考えたらよいのです、学ぶべきことがあるなら過去から学べばよいのです。
「今を生きる」とは、「今」できることにベストを尽くし、「今」できないことや分からないことに心を縛られていない生き方を意味するのです。なぜ将来に不安を持つのかと言えば、将来になってみなければわからないことや今はどうしようもないことについて、あれこれ考えているからです。罪悪感に悩むのも、変えることのできない過去についてあれこれ考えているからです。ですから、将来のためにできることはベストを尽くして行動し、過去から学べるものを学んだら、もう将来にも過去にもとらわれる必要がないのです。
それでは、「今」に生きるためにはどうすればよいのでしょうか?そのためには上記のような理解も必要ですが、もっとも根本的には、愛を得ることが必要なのです。愛があるときに、人間は「今」に生きることができます。愛し合う二人がともに時間を過ごすとき、そこには「今」しかないはずです。愛は人間を「今」につなぎ止めるエネルギーなのです。
このように、不安という根源的なマイナス・エネルギーに対して、もっとも根源的なプラス・エネルギーが愛というエネルギーなのです。愛があるときに、人間は不安があるときと反対に自分をオープンにできます。罪悪感があるときと反対に自分を楽しませることができます。愛があるときに人は自分を許し受け入れることができるのです。世界を受け入れ、生きる喜びを味合うことができるのです。
ですからあなたは自らの内に愛を見出さなければなりません。内にある愛を感じ、それを表現しようとしなければ、人生を豊かにし喜びに満ちる幸せを得ることはできません。