金井メソッドの第一にあるように、
心を開くことが瞑想においては絶対的に必要であり、
また、平安な人生を送る現実生活においても根本的な課題です。
心を開いてすべてを受け入れることができれば、
それ以上求めるべきものはありません。
しかし心を開くことは大変難しいことです。
なぜ難しいのでしょうか?
それは自分を守る気持ちが強いからです。
心を開くことで無防備になり、
他者からの攻撃を受けてしまうからです。
ですから理屈としては、自分が強くなれば良いことになります。
弱い犬ほどよく吠えると言いますが、それと同じことです。
強ければ自分を予め防御する必要は感じないものです。
しかしどれほど自分を強くしても、
自分より強い存在、自分に大きな影響を与える存在、
それが完全に無くなることはあり得ません。
それではどうすればよいか?
根本的には、自分を諦めるしかありません。
厳しい言い方になりますが、
自分をギブアップすることこそが、
心を開くために必要なのです。
ですから、完全に心を開くことは、
神様以外無理でしょう。
しかし、完全にではなくても、
部分的に自分を諦めることは私たちにも可能です。
自分の主張を諦める、
自分の都合を諦める、
自分の判断を諦める、等々。
部分や程度を限定すれば、
今の自分のままでも、時と場合によって、
いくらでも諦めることができる、
と思えるものや時があるはずです。
最終的には、自分を捨てることが瞑想の目的です。
それこそが真理につながる道なのです。
そのために瞑想そのものだけでなく、
日常の中でも自分を捨てる意識をもつと良いのです。
自分にできる時にできる範囲で繰り返す。
その意識と努力を続ければ、瞑想とあいまって、
次第にできる範囲が広がることでしょう。
それがあなたを真理へと自由へと早く導きます。