心を開いて委ねれば必要なものは与えられる

「心を開いて委ねれば、必要なものは与えられる」というのは本当ですか?理論的になぜそう言えるのか説明して欲しいという質問を受けました。

逆算で考えてみましょう。
与えられるとは何を意味するのでしょうか?
その意味は、自分が自分の力で獲得するのではなく、相手からやって来たものを受け取ることを意味します。

私たちは人生の中でうまくいくこともうまくいかないこともあります。うまくいったときには自分の力で得たと思うでしょうし、うまくいかないときにも自分の力不足だと思います。(なんでも人のせいや社会のせいにする人もいますが、それはここで論じる問題以前の問題なのでここでの議論に含めません)

しかし実際にその結果が出たのは、自分の力によって決定されたのではありません。冷静に考えれば分かることですが、良い結果も悪い結果も、すべての結果は、自分の言動プラス無数の関係要因によって決まるのです。

実力次第と言われる入試でも、会社の中で得る評価も、交通事故も、結婚することも離婚することも、今で言えばコロナに感染するかしないかも、すべては自分だけが決定要因とは言えません。ですから、ここで言っている「与えられる」とは、自分の言動や努力以外の要因の働きに言及しているわけです。

その働きとはどのようなものでしょうか?その働きにも、宇宙の3大原則が働いています。3大原則とは1)すべては変化する(これについて異論のある人はいないでしょう)、2)すべては自己を表現しようとし続ける(これは少しわかりにくでしょうが、人間について考えればわかりやすいです。何らかの意味で、考えや感情や欲望を表現することで人間は生きています)、3)すべては根本からの表れでありしたがってすべての内に根本性が受け継がれている(これも分かりにくいですが、人間で言えば、誰でも共通の要素がある、例えば生物としての本能などということです)。そしてこの3原則は宇宙のすべての存在(形あるものも無いものも、生命あるものもの無いものも)について常に働いています。

話を本題に戻すと、そのような原則が、結果をもたらす要因すべてに働いている、ということです。あなたの言動によってある一つの要素が根本性によって影響を受けて、変化性と表現性の原則によって動き始め、その要素が他の要素に同様の働きかけをする、という具合に影響の範囲が広がっていきます。

その範囲は理論的に無限であるうえに、影響の度合いはいろいろであり、また願望の実現にプラスに働く要素もあるしマイナスに働く要素も中立の要素もあります。ということで、自分の言動によって最初に直接的な影響が生まれ、さらに次から次へと間接的な影響が生まれ、その総体としての力が働いて一定の結果が生まれるわけです。

しかし人間というものはそれほど単純ではなく、一つの願望から言動が始まりますが、時間とともに願望そのものの程度や極端な場合には願望そのものが変化します(変化の法則)。またあるときには、時間の経過とともに、そのプロセスや結果についての不安が生じることもままあります。そういった色々な変化に基づいて言動そのものが変化しますから、それが与える影響も変化します。

という具合に微妙な変化を含めれば、一つの願望から始まった影響が不変的に継続されるということの方が例外的なケースとなります。ですからあまり単純に「私はこう願っているのに・・・」ということに固執する意味は無いのです。

この変化する願望の中で例外が「必要なもの」なのです。本当に必要なものを求める願望は、意識しようとしまいと変化しません。ですから、「どんなものでも与えられる」ではなく、「必要なものは与えられる」、ということになるのです。

以上をまとめると、先ず最初に、本当に必要なものがあるとき、それを手に入れたいという自分の願望に基づいて言動や努力をする、そうすると諸要素に不変の影響を与えることができる、しかしその影響の程度や範囲は無限であるゆえに、すべてを知ることは人間には不可能だから、言動した後は結果は委ねるしかない。委ねないと次の願望や不安や焦りが出てきて、それが余計な影響を諸要素に与えることになってしまい、最初の願望以外の影響を作り出してしまう。以上の結論が、「心を開いて委ねれば必要なものは与えられる」なのです。