瞑想によって問題解決が可能になると言うと、
瞑想さえしていれば不可思議な力によって、
問題はすべて解決できるはずだと思う人がいます。
結論から言えばそういうことはあり得ません。
ずっと以前のことですが、驚くべきことに、
瞑想しているのに自動車事故にあった、
といって瞑想の効果を否定する人がいました。
瞑想していても不注意であれば、または運が悪ければ、
事故や事件に巻き込まれることはあって当たり前です。
瞑想は幸運を呼び込むためのものではなく、
また超能力を身に付けるためのものでもありません。
それでは、瞑想によって問題を解決できるようになるとは、
何を意味するのでしょうか。
瞑想による問題解決のレベルには二つあります。
第一は、たとえば心の平静を保ちやすくなるとか、
心を開くことで受容性が高まるとか、
そういった心の在り方の変化によるものです。
そういった心の在り方の変化が、
問題解決に役立つことは確かです。
第二はより本質的なレベルでの問題解決です。
それは、「想いから自由になる」ことによって、
問題解決が可能になるということなのです。
すべての問題は、直接的なきっかけや原因はいろいろとありますが、
最終的には「自分の想い」によって内容が決定されます。
ですから、同じ困難にぶつかっても、
自殺する人もいるし飛躍のバネにする人も出てくるわけです。
自分の想いが問題の原因であるのなら、
自分の想いを変えれば、
結果である問題も解決できるということになります。
上記の例のように、
同じ問題にぶつかったときに自殺するか飛躍のバネにするかは、
その問題をどのように受け止めて考えるか、で決まります。
この「受け止め方」や「想いの内容」は、
人生を豊かにしていくために非常に重要です。
上記の例のように、
それ次第でどう対応するかが決まってしまうからです。
しかし、どう受け止めるかやどう考えるかは、
かなりの部分をその人の性格や気質や過去の体験に依存します。
上記の例で言えば、
気の弱い人は自殺し負けず嫌いの人はバネにする、
または、過去に小さな同様の問題を乗り越えた経験があるか無いか、
といったことで決まるわけです。
しかし実際問題として、
性格や気質を変えることは非常に困難であり、
過去の体験も問題解決のために今するわけにはいきません。
だからこその瞑想なのです。
瞑想とは、
自分の内にある本来のものでない要素から自由になる作業です。
性格や気質が本来のものであるか否かは、
どのレベルで考えるか次第でしょうが、
自分が性格や気質に基づいてその時々に作った、
「想い」が本来のものでないことは確かです。
もともと無かったところに作り出されたものだからです。
ですから、想いから離れる作業を継続する瞑想をしていれば、
結果として自然に想いに縛られることが少なくなっていき、
最終的には誰でも想いから自由になることが可能なのです。
そして想いから自由になれば、
どのような問題でも、
解決は常に可能になるというわけです。