物事にはいろいろな面や考え方があります。現象界においては、すべてが相対的なものですから、一つの存在にいろいろな面があるだけでなく、一つの面に対してもいろいろな見方や考え方があるのは仕方のないことです。
人間はそれを忘れて、一面だけを見たり、自分の見方や考えに固執しがちです。それが正しいときやそのときの状況にあったものであれば問題は生じませんが、そうでないと(そうでない場合の方が多いのが当たり前ですが)、苦しみが生じることになります。
いろいろな面や見方があるということは、自分が見る面や見方が一つであるのに対し、そうでない面や見方は数多く存在するということですから、その結果、自分の見た面や見方に固執すればするほど、同じ過ちを繰り返すことになったり、その時々の状況やまわりの人々との対立が増えることになり、さらにその結果として、それらに振り回されることになるのです。いろいろな面や見方をすべてとらえられるようになればよいのですが、それは普通の人間には不可能に近いことです。
もう一つのより根本的な問題は、生きていくうえでは、一つの面や見方によって判断し行動するしかないということです。イエスでもありノーでもあるという見方をしていては、何も決められないし行動もとれません。
従って、この問題を解決するためには、どうしても、現象界の大本である精神界にさかのぼり、さらに精神界の大本であるイノチのエネルギーに戻るしかないのです。イノチのエネルギー界においては、いろいろな面があるということもいろいろな見方があるということもありません。そこにあるのは真理という唯一の存在だけであり、それだからこそ、現象界におけるすべての出来事に対する絶対的な根拠となるのです。