公平な愛とは

多くの人が自分は十分に愛されていない、または極端な場合はまったく愛されていない、と感じています。この愛されていないという不満は、本質的には、誰か人間に愛されていないという感覚だけでなく、人生における全般的な不満、たとえば運命に見放されている、美の女神に愛されていない、等々にも通じるものです。つまり自分はほかの人に比べて、自分が望むものが十分に与えられていないと感じているのです。

しかし現実の世の中で、すべての人に公平に何かが与えられることはあり得ません。公平であるべきだというのは、当事者の願望に過ぎないのです。現象レベルの出来事のすべては元波動という大本のエネルギーの現れです。そのエネルギーは確かにすべてにわたって存在し流れているので、その意味ではすべての存在に対して公平なものです。しかし、それがどのように表現されるか、どのように受け取られるか、はまったく別の問題なのです。その具体的な表現は、そのときの個々の縁によって決まります。どのように受け取られるかは、エネルギーそのものではなく、それを受け取る当事者によって決まります。

エネルギーの働きを理解しようとするときに、自分中心の理屈で考えてはなりません。特に愛については、自分中心の考え方になりがちです。それは愛こそが人間が最も必要とするものであり、すべてに影響を与える力をもっているからです。愛を理屈でとらえようとすると、「~であるべきだ」という、人間を束縛する力として働くことになり、愛の本来の働きとは真逆のものになってしまうのです。