人間のもっとも正直で正しい生き方は、常に自分を優先する考え方に基づいて生きることです。人間も動物ですから、自分の存在が人生の中心であり、その存続が最も大事なことなのです。それは道徳や社会規範などに関係なく、人間の奥深くに内在しているものです。ですから、自分を何よりも大事にする考え方が、人間存在のもっとも自然で正直な生き方になるわけです。
もちろん時として形としては、自分よりも他者を大事にするように見える行動をとることもあります。しかしそれは本当に他者を優先する考え方に基づいているのではなく、そうすることが何等かの意味で自分にとってプラスだからしているのです。
たとえば親が子供のために自分を犠牲にするといった場合も同じことです。親としての愛を発揮して子供のために自分を犠牲にしているのですから、自分の親としての存在価値に基づいて判断した行動なのです。
他者よりも自分を優先するとは、他者の存在を無視して我儘な行動をとることではなく、常に自分が求めるものを明確に意識し、自分を活かそうとする生き方なのです。ですから、極端な例を挙げれば、他者を救うために、または自分が正しいと思うことを貫くために、死を選ぶことも、場合によっては、自分を大事にしている生き方だと言えるのです。
大きな間違いは、往々にして、他者を優先して行動することが美しいこと崇高なことだと思われていることです。そのような考え方は、人間本来の在り方に反した、個よりも全体を優先する考え方であり、極めて危険な考え方です。社会にとっても、個としての自分にとっても、大きなマイナスを生み出す基となります。
そのような義務という観念に発達した他者優先の考え方でなくても、日常の中でよく見られるのは、自分で何かを決めないで「あなたがそう言ったから」とか、「あなたの為に」といった理由で、自分の考えや意見に基づいた行動をとらない人です。これは、一人の人間として自分の人生を生きることをしない、一種の責任逃れの生き方です。
いずれにしてもこのように、自分よりも他者を優先する考え方で行動すると、他者からの批判を避けることができたり、一時的には立派で美しく見える行動をすることができますが、それが基本的には人間の在り方に反しているので、やがて最終的には、自分が欲求不満になったり、意識的にまたは無意識的に相手からの見返りを期待したり、自分が立派な行動をしているというプライドが発達したりして、結局は自分と他者に対してマイナスを作り出すことになってしまうのです。
このように、実は自分のためにしていることをあたかも他者の為にしているかのように振る舞うことを偽善と呼びます。
大事なことは、常に自分を優先して生きていると自覚することです。そうすれば、無意識の偽善に陥ることなく、自分と他者に正直に生きることができ、そしてその結果として、皮肉なことに、すべてを受け入れる大きな愛へと進むことができます。