非常時と瞑想

東日本大震災から2週間が経ちました。被災された方の鎮魂と一日も早い復興をお祈りいたします。

このような非常時には瞑想者としてどのように在ればいいのでしょうか。人間は三つの要素によって成り立ち、その三つが常に働いていることによって生きています。第一に身体、第二に心、第三にその二つの大本であるイノチのエネルギーです。瞑想はその三つすべてに対して浄化と強化を生み出す作業ですから、瞑想者としては、このような非常時においては、いつも以上に、それら三つの面について明瞭な意識をもって瞑想しなければなりません。

最も根本であるイノチのエネルギーについては、瞑想によって自分自身を観ることを通して、イノチのエネルギーを感じることに集中してください。このような非常時には、学びを得ようとすることよりも、今日明日を生きること、生きようとする人間として自然のエネルギーをしっかりと感じ取ることが重要です。それは自分を観ることによってしかとらえることができません。まわりの状況や頭で考えることによっては、本当の意味での自分のイノチのエネルギーをとらえることはできないのです。

二番目の、心つまり精神作用を整えるためには、想いから離れることが基本的に重要です。このような非常時には、いろいろな情報が混乱したり、自分の不安感が増大したり、多くの心を乱す要因が増えるものです。そのように乱れた心では、的確な精神作用は不可能です。的確に考えたり判断したりするためには、皮肉なことに、先ず最初に想いから離れることが必要なのです。想いから離れ自由な心になることによって、あるがままをあるがままに観ることができるようになります。このような非常時には、その人の性格や情緒の安定度がはっきりした形で現れやすいものです。不安感に襲われて取り乱した言動をする人もいれば、不安を感じないために状況を無視して過度に楽観的になったりまたはすべてを諦めてどうにでもなれ、という姿勢をとる人もいます。いずれも、あるがままをあるがままに観ることができない結果です。

三番目の身体については、単に身体そのものというよりも、身体を含めた物理的な要素すべてを含むのですが、そのようなものに対しては、心を開く、つまりすべてを受け入れることが重要となります。いつも言うように、すべてを受け入れるとは、賛成したり同意したりすることではありません。同時に否定することでもありません。あるがままを認めるということです。

このような非常時に、起きたことについてあれこれ批判したり不平不満をもったりしないこと、しかし同時にすべてを諦めて何もしないという姿勢をとらないことを意味するのです。生きるためにできることにベストを尽くし、その結果に執着しない、という姿勢が、すべてを受け入れることによって導かれることになるのです。

あるがままをあるがままに受け止め、その事実に基づいて考え、その考えに基づいて判断行動をするのです。このような状況の中で自分として何ができるのか、イノチのエネルギーに基づいて、自分の感情や雑念から自由になって、きちんと考え判断し、そして実行することこそ、このような非常時における瞑想者としての在り方です。