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自分を抑えることと自我からの解放

現代社会の中で生きていく私たちは、自分を抑え、まわりに合わせたり相手を優先しなければならない場面が多いものです。それが社会の中でうまく生きていくうえで必要なのです。特に日本の文化のなかでは和が重視され、往々にして意見の違いが人間的な対立になってしまいます。対立を避けるために自分を抑えることが必要になるのです。意見の対立だけではありません。職場で部下を管理したり顧客に接したり、または家族の中でも配偶者や子供にたいして良い関係を保とうとすれば、自分を抑えて相手を優先しなければならないことは多いものです。

絶対幸福を得ることや真理を悟るためには、いつも言うように、つまるところ自我から自由になるしかないわけですが、上記のような「自分を抑えること」によって自我から自由になることができるのでしょうか?多くの人が自我を働かせないということは、自分の欲望を抑えたり相手を優先することだと理解していますが、実は「自分を抑えること」と「自我を働かせない」ことはまっ
たく違うことなのです。

そもそも「自分を抑えること」をしたのはなぜでしょうか?それは、なんらかの意味で自分の欲しいものを手にいれるためだったのです。職場で部下を管理したり顧客に接するときに自分を抑えたのは、相手を利用したり相手から利益を得たいからであり、家庭で相手を優先したのは、相手と居心地よい関係を保ちたいからだったのです。ですから、自分を抑えたと言っても、それはそのときの表面的なまたは小さな自分の気持ちを抑えたということであり、もっと深いところにある自分の欲望を満たすために「自分を抑える」ということをしたのです。

その深いところにある自分の欲望の原因は、相手との関係によって生まれているわけです。自分にとって相手が部下や顧客や家族であるからこそ、上記のような欲望が生まれたのです。このように自分と相手との関係によって生まれるものはすべて自我の働きですから、上記の例の場合は、まさに自我の働きによって自分を抑えた、ということになるわけです。ですから、「自分を抑えること」と「自我から自由になること」には何の関係もないことになります。

繰り返しますが、自我から自由になるということは、関係から自由になるということです。「自分を抑えること」と「自我を抑えること」は必ずしも同じことではないのです。自我から自由だからこそ逆に相手よりも自分を優先する場合もあるでしょう。戦争のときに徴兵の命令に背いて兵士にならないことを選ぶのは、自我にとらわれている場合もあるでしょうが、逆に自我から自由だからこその選択の場合もあり得るのです。

自分を抑制することに意味が無いと言っているのではありません。最初に述べたように、自分を抑制することは社会生活を営むうえで必要なことです。自分の役割を果たすうえで必要な場合もあるでしょう。しかしそのことと「自我から自由になること」は関係ないということを明確に理解してください。一方は社会生活をうまくするためにすることであり、他方は絶対幸福や真理を得るために必要なことなのです。

このような根本的な違いだけでなく、「自分を抑えること」ばかりしていると弊害も生まれます。それは自分を抑えることが習慣化して、自分を優先することができなくなることです。自分を抑えるのは、深いところでは自分の欲望に従っているのですが、表面的にはいわゆる我慢をすることになるので、多くの場合無意識のうちに抑圧が蓄積することになるのです。蓄積は永遠には続かないので、いつか何らかの形で欲求不満が爆発することになります。このような弊害を避けるためには、自分を抑えるときには、何を得るために自分を抑えるのか、それを明確に意識する必要があります。それが意識できれば、代償を得ていると思えるので抑圧は生じません。もちろん、そのようにしても、いつも自分ばかりが抑制して相手の言いなりになっていれば、次第に不満が生じ抑圧となっていきますから、ある程度のバランスが必要です。

人間関係のなかでは、お互い様、という感覚が生じるような状況を作ることが、良好で長く続く関係のためには必要なのです。しかしより根本的な解決は、自分を抑える必要がなくなることです。瞑想をするということは、何事によらず根本的な解を求めるということですから、自分を抑えるべきか否かという問題についても、根本的な解、即ち他者との関係つまり自我から自由になることを求めるべきです。そのためにこそ瞑想をするのです。