瞑想しても救われない人へ

瞑想をしても日常生活の中で苦しみから解放されない人がいます。少し良いことがあってもすぐに何か問題が生じ、それを乗り越えてもまた何か別の苦しみが生じるという人です。

瞑想していても苦しみから解放されない理由は、その人が瞑想の効果を勘違いしているからなのです、瞑想そのものがあなたを救うのではありません。あなたを救うのは、あなた自身の在り方の変化なのです。

瞑想はあなたの在り方の変化を実現する手段に過ぎません。瞑想しているから救われるはずだと考えて、現実生活の中での自分の在り方の変化を目指さなければ、いつまでたっても救われないのです。

なぜなら、瞑想は過去に作られたマイナスエネルギーを減少させ、同時に今の心を自由にしていきますから、あなたの在り方をより自由にして宇宙に同調するように変化させていきますが、長年の考え方や言動の癖をすぐに変化させることはできません。

根本的な変化を生み出すのには時間がかかりますから、瞑想だけではなく、対症療法的に今の苦しみを生み出している今の自分の考え方や言動の癖を改善する工夫や努力も必要なのです。その意味では、瞑想は手段であって目的ではないのです。

瞑想して一時的に心が自由になったり、なにか良きものに気づいたりしても、それが生活の中での自分の心に根付くには努力や工夫が必要であり、またその努力や工夫が現実に反映するのに時間もかかります。

ですから、瞑想するたけでなく、瞑想で得た自由で宇宙に同調した心が毎日の現実の生活に反映するように、自分の具体的な言動や態度を改善する努力と工夫が必要なのです。そうしないでただ瞑想をしているだけでは、毎日の生活という現実のなかで苦しみから解放されるのに非常に長い時間がかかり、苦しみの多い人生を送ることになってしまうのです。