運をよくする

人生にはいろいろと不合理なことや不公平なことが起きるものです。それは特別に不運な人や悪い人だけに起きることではなく、すべての人にある意味平等に起きることです。

そのような性質をもつ運をよくするためには何ができるのでしょうか?ここでは、目先の運を良くするためのおまじないとか小道具などといった不合理な方法や目先的な開運とかではなく、最も根本的な方法を考えたいと思います。そもそも運とは、因果関係がわからない現象を意味します。なぜそうなったのか、運が悪いとか良いとしか言えない、という現象を意味します。

しかしこの世においては、実際にはすべてが因果関係によって成り立っています。自分が理解できない思いつかない、というだけのことなのです。そしてすべての現象は、自分が考えても分からないようなものも含めて、すべて、自分の過去の言動や在り方の結果として、時期を得たとき(現象化する条件が整ったとき)に現れるのです。ですから、どのように不運だと思っても、または幸運だと思っても、それはあなたのそれまでのすべての過去の集大成として現れているのです。

従ってこれから先の運をよくするためには、今の努力が必要になるわけです。過去の集大成が今であり、今の集大成が未来なのです。

しかし、なかには一生懸命努力しているのに幸せになれないと主張する人もいます。それは運が悪いからではなく、間違った努力をしているからなのです。因果関係によって現象が決まるのであれば、間違った努力をすれば間違った結果が現れるのは当然のことです。自分が何を求めるかとか望むかに関係なく、間違った努力をすれば求めたり望むものが手に入らないのは当然です。

間違った努力をなぜしてしまうのでしょうか?それは間違った考え方をするからです。それでは、なぜ間違った考え方をしてしまうのでしょうか?それは自分のとらえ方が間違っているからです。

何をどう考えるかは、自分をどうとらえているかによって決定されます。自分を価値あるものとしてとらえていれば、価値を生み出す考え方をするでしょうし、自分を無価値だと考える人は価値に関係ない心地よさや喜びだけを求めることでしょう。自分を身体だと考える人は身体をすべての考え方の基本とするでしょう。自分を精神だけだと思う人は、すべての考え方の基本が精神的なことだけになるでしょう。自分を男性としてだけとらえれば自分の中に女性性を認めることはできなくなり、自分を女性としてだけとらえれば自分の内にある男性性のエネルギーを活用できなくなります。

このように、自分をどうとらえるかによって、その人の考え方が決定され、考え方によって言動(求めるものの内容と努力の内容)が決定されるのです。ですから自分をどうとらえるかがその人の人生のすべてを作り出す基なのです。

しかし多くの人が無意識に期待しまた誤解しているのですが、自分をとらえるときに、外の世界からとらえられている自分を自分としてとらえてしまうのです。

自分をどうとらえるかは外の世界から教えてもらえるものではありません。外の世界から与えられるのは、外の世界にとって自分はどうあるべきか、自分がどう見えるか、ということです。つまり外の世界という視点からのあなたに対する評価や判断なのです。それが本当の自分であるはずはありません。

自分自身の本当の姿をとらえるためには、自分で自分の内側に入って行き、そこに存在するものを直接とらえるしかありません。それこそが瞑想なのです。