苦しみの原因を知る

何かある問題があるときに、それに気づいていない間は平安な心でいますが、いちどそれに気付くと大きな苦しみになることがあります。たとえば、信頼していた友人が知らない間に裏切っていたなどという例では、その事実を知るまでは問題は何もなく、知った途端に怒りや悲しみなどが湧き上がり苦しみが始まります。そして、その怒りや悲しみは、時間とともに薄れていく場合もあるし、逆にさらに大きくなっていく場合もあるでしょう。

問題が認識されたときに苦しみが始まり、その苦しみの程度は時間とともに変化するのが普通です。問題があってもそれを知らなかったときには、苦しみは存在しませんでした。そして知ったあとも、問題が解決してもしなくても、苦しみの程度は変化します。ですから、苦しみの原因は問題そのものでないことは確かです。問題そのものではなく、苦しみは知ることで始まり時間とともに変化していくのですから、その原因は心の在り方だということになります。問題や事実関係は、苦しみの直接原因ではなく、単に心の在り方が変化するきっかけにすぎなかったのです。

それでは、苦しみのない生き方をするには、嫌なことを知らないようにすればよいのでしょうか?時と場合によっては、知らない方が良いという場合もあるでしょうが、基本的には、知らないことによって苦しみから逃れようとするのは良い解決法ではありません。知りたくないと思っていても、事実はいつか目の前に突き付けられるものです。そして解決を先延ばしすることによって、さらに問題は大きくなることが多いからです。

知らないことによって苦しみが無いという状態は、単に無知によるものであり、本当に苦しみのない人生にするためには、問題を知ったうえで、苦しみから自由にならなければならないのです。

それでは、問題があるときに、それを知って解決することでしか、苦しみから逃れる道はないのでしょうか?そうではありません。そもそも、人生におけるすべての問題を解決することは人間には不可能です。生きている限り、問題は必ず次から次へと現れてきます。問題や不幸をなるべく避けるように工夫して生きることは当然のことですが、それでも、人生には否応なく起きてくる不運や問題があります。自分自身で犯してしまう過ちもあるでしょう。それによって生じる怒りや悲しみや辛さを避けることはできません。

しかし、そのようなマイナス感情を味合うことは仕方ないとしても、それを苦しみにまで増大させ転化させることは避けることができます。そのために大事なのは、最初に述べたように、苦しみの直接原因が出来事そのものではなく、心の在り方だということを理解することです。

それでは、マイナスの出来事、マイナスの感情があっても、苦しみへとつながらない心の在り方とはどのような在り方でしょうか?それは自由な心です。自由な心とは、柔軟にすべてを受け入れる心です。問題を解決する能力だけでは人間は幸せになれません。幸せになるためには、問題を知ったうえで、解決のための努力をするとともに、問題の解決や問題のない状態に依存しない、心の平安が必要なのです。