自我から自由でない今どう生きるか

前回述べたように、私たちは瞑想によって自我から自由になるまでは、自我の働きに影響されながら生きていくしかありません。自我はすべての苦しみの原因となるものですから、結果として、人生に苦しみはつきものだということになります。

しかしそれでも、苦しみを減らし喜びを多くする人生を送ることは可能です。人間が犯す過ちはすべて自我に基づいています。感覚的なものも理性的なものも、自我が働いている限り常に正しいとは言えません。瞑想を続けいつか自我から完全に自由になれば、常に正しい感覚や理性が働くでしょうが、それを待っていては今この日を生きることができません。今は今の自分として生きるしかないのです。すなわち、今の自分の感覚や思考に基づいて生きるしかないのです。

そして前述したように、その感覚や思考は常に、大小の差はあっても、間違っていると言わざるを得ません。正しい、間違っていない、と思えるようなことでも、完全から見れば多少の間違いや誤差があるものです。今現在の意識ではその間違いや誤差を見極めることができない、ということに過ぎません。ですから、今現在を自分として豊かに生きるためには、間違うことを前提に生きるしかないのです。

間違いを犯しながらも豊かに生きるために大事なことが三つあります。一つは、自分の感覚や思いが間違っていたからといって自分を否定しないことです。間違って当たり前なのです。常に正しい判断をという不可能を求めるのは愚かなことです。二つめは、自分の感覚や思いを信じないことです。といっても行動を否定するという意味で信じないのではありません。~と感じる、~と思う、~と判断する、ということは、単にその可能性が高いと、感じた、思った、判断した、というに過ぎないと思うのです。そうすれば、間違っても落胆したり絶望したりすることはなくなります。そして三つめとして、間違っていた場合の対処を予め考えておくことです。予め対処を決めておけば、万一結果が思わしくないときも慌てないで済み、たとえ望んだ結果になった場合でも、その結果が出るまでの不安や怖れを軽減することができます。

上記の三つを実行することによって、その時の自分の感覚や思いに基づいた行動をしやすくなり、うまくいかなかったとしても、自分を責めたり後悔したりしないで済み、さらに、その失敗の結果に基づいて、次の行動をより正しくする可能性を生み出すことができるでしょう。