考えない、想わない、ということについて

瞑想では、考えない、想いから離れる、ということを重視します。それは、想いから離れることによってだけ、本来の自分を観ることができるからです。

このことは、想いから自由でなければ、ものごとの真実は観えないことを意味しています。たとえば、ある対象に対して偏見や片寄った考えや想いがあれば、その対象を正しく理解し判断することが不可能であることは誰にでもわかるでしょう。そのためには、自分の想いに執着していてはいけないことは明らかです。

しかしこのように物事の理解や判断のためだけでなく、迷いや苦しみからの解放のためにも、考えないことや想いから離れることは極めて重要なのです。

考えても分からないことや仕方のないことについて、いつまでも考える、その想いから離れられない、ということが日常生活の中では多いものです。これまでの教育では、考えること、覚えることばかりが重視されているため、考えない、想わない、忘れる、という訓練がまったくなされていません。

生きるうえで要領の良い人は自然にそれを学びますが、不器用な人や執着の強い人は、なかなか考えることや想うことから離れられません。

人間の在り様は、すべてがその人の考えや想いで決まっているといっても過言ではありません。同じだけ財産や能力があっても、不満が強い人もいるし満足している人もいます。

自分が不満を持っている事柄から想いが離れなければ不満は続きますが、その想いから離れれば、不満からも離れることができます。そして現実生活のなかでは、不満から離れることによって問題が大きくなることは稀であるのです。

しかし想いから離れる訓練を受けていない我々は、どうしても不満に意識が向きがちで、そこから離れることが難しいのです。ですから、瞑想によって想いから離れることを繰り返すことによって、自然な形で離れる能力を身に着けることによって、日常生活のなかでの苦しみや迷いが少なくなるのです。

そしてある程度それができるようになったら、日常の中でも、意識的に、考えることや想うことをしないようにする努力が必要です。繰り返しになりますが、考えても仕方ないこと、考えても分からないこと、については考えない想わない、を実行するのです。

これができるようになると、逆に、考えなければいけないこと、想った方が良いこと、については、いい加減な程度ではなくきちんと考える想う、ということができるようになるのです。