寂しくない人生を送るためには

寂しさは自分の内に存在の喜びを得られないときに感じるものです。そのために、自分のそばに他者を必要とするのですが、自分にとって都合の良い他者がそばに居ないと孤独感に襲われるわけです。

ですから、寂しさから逃れるためには、そばに他者がいるようにすればよいことになります。そばに他者を置くことの最も簡単な方法はペットを飼うことでしょう。ペットはまさに自分にとって都合の良い他者であるからです。

しかし、さらに寂しさから自由になり深い喜びを得るためにはペットではなく人間が必要です。人間はペットのように餌を与えていればいいというわけにはいきません。衝突も起きるし関係性も変化していきます。そのような面倒な人間という他者が常にそばにいるようにするためには、相手を好きになるだけではなく、自分が相手からある程度は好かれる存在になるしかありません。

どのようにすれば、相手から好かれる自分になれるのでしょうか?その出発点は、自分が相手を必要としているのだということを、自分に認めることなのです。それを認めることで初めて、相手から好かれるための努力をすることができるようになります。

しかし、多くの人は、その必要性を認めずに、ただ誰か優しくしてくれる人、自分の必要を満たしてくれる人を求める気持ちだけが強いのです。求めるばかりで努力をすることを考えないのです。自分に必要なものを手に入れるためには、常に何らかのコストを払う必要があります。ギブ・アンド・テイクが宇宙の法則なのです。そのコストが、この場合は、相手に好かれようと努力することなのです。

しかし前回解説したように、本質的なレベルでは常に自分が大事で自分を最優先するのが人間ですから、単に相手に好かれようとばかりし続けることは不可能です。最初はできても、そのうちにストレスがたまりマイナスが大きくなって相手から好かれるどころか嫌われるようになるものです。

相手から好かれようと思うときは、基本的には相手のことを好きなのですから、自分の外側ではバランスが取れています。つまり、相手を好きな気持ちと相手から好かれたいという気持ちの両方があるわけです。

しかし自分の内側ではバランスが取れていないことが多いのです。内側のバランスとは、この場合は、相手を好きだという気持ちと自分を好きだという気持ちのバランスです。このバランスが取れていないと、つまり自分のことを自分が好きでないと、相手のことを好きだという気持ちそのものが不安定になり、その不安定さが、相手から好かれることの妨げになるのです。ですから、相手を好きになるのと同じ程度に自分を好きになる必要があるのです。

こうして外側のバランスと内側のバランスが取れていれば、良い人間関係が構築でき、寂しさを感じることなく生きていくことができるでしょう。しかし、この状態を実現することは容易ではありません。自分を好きになり、相手を好きになり、かつ相手から好かれて、しかもそれを継続する、ということはなかなか難しいものです。

それだけではありません。このように誰かから好かれているというのは、少し長い目でみればいつまでも続くことではありません。自分も変わるし相手も変わるのがこの世の常であるし、たとえ相手の気持ちがいつまでも変わらないとしても、相手は死んでしまうかもしれないし、離れていかざるを得ない事情が起きるかもしれません。

ですから、寂しさから逃れるためには、より本質的な解決が必要となるのです。その解決は自分の心の豊かさにあります。寂しいと感じるのは、前述のように、自分の内に、存在の喜びを感じないからですから、その点を変えることができれば問題は解決することになります。

自分が存在していること自体から生まれる喜びは、外から与えられるものではなく、自分の内から湧き上がるものですから、心の豊かさによってだけ可能となります。心が貧しければ、常に何かの不満や空虚さを抱えているので、どうしても喜びを得ることはできなくなるのです。

それではどうすれば心の豊かさを得ることができるのでしょうか?豊かになるためには多くを得なければなりません。しかし人間の欲求には限りがありませんから、閉じられた心の中に幾ら多くのものを詰め込んでも、しばらくすると必ず不足感が生まれることになります。

従って、心がいつも豊かであるためには、心を開くことで、外側の世界との交流が自由にできる状態にするしかないのです。外の無限の世界と自由な交流ができる状態であれば、心は常に豊かでいられるのです。そして心が豊かであれば、たとえ一人きりで生きていても、寂しさを感じることはないのです。