苦しみや迷いや悲しみといった人間の感情は、常にある事実が引き金となります。しかし事実とは何を意味するのでしょうか?事実とは客観的な事柄、誰がみても同じように認識できる事柄を意味します。しかし人間というものは、すべての出来事や事柄に対して、その人の過去の体験に基づいて反応するものなのです。同じ事柄に対する解釈や感情が人によって違うのはそのためです。
その結果、多くの場合人間の反応は、客観的な事実に基づく判断や感覚とはならないのです。いいえ、正確に言えば、程度の差はあっても、純粋に客観的な認識を持つことができないのが人間だとも言えるのです。
その人の意識がとらえた内容は、事実に非常に近いときもあるし、事実とは真逆のことさえあります。そのように意識の在り方というものは、同じ事柄についても、人によって大きく異なるのです。
同じことが一人の人間のなかでも言えます。ある事柄や体験がその人の苦しみとなるのかそうでないのかは、その人の意識次第だということなのです。このことは苦しみだけではなく、人が作り出すすべての感情や想いに当てはまることです。ですから、その人の人生のすべてが、その人の意識の在り方で決まると言っても過言ではないでしょう。
しかし、ここで注意すべきは、だからプラス思考が良いのだ、ということにはならない点です。プラス思考は何でも良い方にとらえよう、というものですが、そのような姿勢は問題の解決を不可能にし、人を成長から遠ざけ、根拠の無い楽観を育てるだけです。無理にそのようなことをすれば、かえってストレスや欲求不満を募らせることにもなりかねません。
それでは、人生を有意義になるべく楽しくするためには、どのような意識をもてば良いのでしょうか?理想的な意識の持ち方には二つの大切な要素があります。
第一に、事実を事実として認識することです。事実を事実としてあるがままに認識すれば、誤解や愚かさやとらわれを避けることができ、さらに体験から学ぶということを可能にしてくれます。
それでは、事実を事実としてあるがままに認識できなくする要素は何でしょうか?それは欲望と恐れです。欲望と恐れがあると、人はあるがままにとらえる意識を持つことができません。欲望や恐れに基づいてすべてを受け止めるからです。その結果として、愚かさやとらわれに苦しむことになるのです。
理想的な意識の持ち方に必要な第二の要素は、事実を事実としてとらえた後に、その事実に基づいて、どのような判断や行動をするかです。ここでも意識の在り方がすべてを決定します。事実を事実として認識することができても、どのような判断や行動をするかは、人によって違うからです。
それでは、その判断や行動を適切にするためには何が必要なのでしょうか?ここで根本的に必要なものが、自分自身の豊かで強いイノチのエネルギーなのです。イノチのエネルギーが強ければ、自分にとってマイナスになるような判断や行動をとることは無くなります。自分にとってマイナスなことは、イノチのエネルギーを弱めることになるからです。
それでは、イノチのエネルギーを強めるためにはどうすればよいのでしょうか?その根本は愛です。自分自身と世界をあるがままに受け入れることです。自分と世界が一体になることです。愛が無いところではイノチのエネルギーは枯渇します。愛があれば、イノチのエネルギーは高まり、そして生きること自体が輝くのです。
ですから結局、価値ある人生を送り、幸せになるためには、欲望と恐れから自由で、愛に満ちた心の在り方(意識)を目指すべきなのです。