瞑想の実践の中で「想いから離れる」ということはおそらくもっとも基本的なことであると同時に重要なことです。それだけに正しい理解が必要であり、間違った理解に基づいて瞑想を続けても効果があがりません。
「想いから離れる」ということは、意識的に「考えないようにする」こととは違います。考えないようにすればするほど、その「考えない」という想いが強くなってしまうでしょう。「想いから離れる」とは想いが出て来ないようにすることではなく、出て来た想いをそのまま受け入れ、評価判断をせずに、しかし同時にあとを追い従うのではなく、いわば横に置く、という意味です。
想いが動くのをそのまま観ているという瞑想法も東南アジアで盛んな小乗仏教においてみられますが、きちんとした指導のもとに行わないと危険な面があります。観続けること自体は一つの方法なのですが、それを真剣にするあまり、無意識のうちに観続けるために想いを中断せずに継続させてしまう、という危険性があるのです。その落とし穴にはまって、一生懸命瞑想をしているつもりが、逆に強い想いにとらわれるようになって精神的な自由を失うことがあるのです。ですから、想いを観続けようとするよりも横にそっと置いて、想いのない状態の心に戻る、ということを繰り返した方がよいのです。
この方法は瞑想において、何かを「する」ことを目指すのではなく、自分がどう「在る」か、を目指すといういうことでもあります。瞑想は心と体から自由になることが本来の目的なのですから、「する」、つまり体次元の事柄」はできるだけ避けなければなりません。出てきた想いから離れて、言葉が存在しない状態に戻る、それこそが瞑想なのです。それは心の状態の程度問題(比較的心が静かだとか穏やかだ)といったことではなく、ゼロか100かの差なのです。